“篠山町の中心街から郡家通を北へ、歩いても10数分のところに、約35ヘクタールもの広大な地域を占めて、「歩兵第七十連隊」が置かれていました。 1908年から1945年の敗戦まで兵舎の背後にそびえる盃ケ岳の早駆けや、多紀連山を舞台とした山岳訓練により「丹波の鬼」として全国にその名をとどろかせました。 実弾射撃場の跡地は松下電器産業労働組合の経営する「ユニトピアささやま」となり、一般の人にも開放されています。 戦後は県立篠山農業高校(現・産業高校)や県立兵庫農科大学(神戸大学農学部に移管のうえ移転)など学園地帯として生まれ変わりました。”